2014年7月3日
環境大臣 石原伸晃 様
要請者 原発いらない福島の女たち
私たちは6月15日(日)福島市で環境省主催の「除染に関する有識者との意見交換会」が福島県民には非公開で行われることを知り、傍聴を求めたが午前中の意見交換会には入れず、2時間の交渉の末2人のみ午後の傍聴が認められた。放射能汚染された土地で暮らす住民からの意見を聞こうとせず、福島県内のたった4市の行政の長からの意見や要望で除染の基準値を変更するのは、被害住民不在の行為である。住民の健康に直接影響のある除染の在り方や目標値設定には住民の意見を聞くべきである。
「有識者」リストについても事前に公開されず、原子力政策を推進する立場の「有識者」が数名入っていたことを傍聴後知ることとなった。崎田裕子司会者は表向き市民の立場という肩書ながら、原子力発電環境整備機構評議員でもあり、0.23μsv/hにはこだわらないことを強調して誘導的に司会を進めていたことから、環境省としての方針はあらかじめ決まっており、その筋書きに沿って意見交換会をしたと読み取れるものであった。実際、最後に到着した井上環境副大臣からは、一か月以内に方針を発表するとの発言があったが、他の市や県民の意見を真摯に聞く態度があるならば、そのような短期間では方針を出せないはずである。
福島県では事故当時18歳未満の子どもの甲状腺癌は増え続けており、6月10日の発表では癌の子どもが50人、疑いは39人に上る。県民健康調査検討委員会は、原発事故との因果関係は認められないとの報告をしているが、この報告に疑問を呈する専門家は多い。
チェルノブイリ原発事故後のウクライナやベラルーシの放射能汚染地帯に住む子どもたちに、28年たった今でも様々な疾患や免疫不全が増えているというデータがある。福島県の子どもたちの現状に原発事故との因果関係は認められないからといって、除染が進まないという理由で目標値を上げて、放射線に対する感受性の高い子どもたちをその地域に放置することは、予防医学の観点からもするべきではない。空間線量が高い地域にあえて子どもたちを閉じ込めておくのではなく、避難したい家庭には避難できる権利に基づく具体策を、留まる家庭には定期的な保養のシステムを作るなど、除染のみに偏らない被曝低減施策がとられるべきである。
また、石原大臣は6月16日、官邸で菅義偉官房長官に中間貯蔵施設に関する住民説明会が15日に終了したことを報告した後の記者団の質問に、「最後は金目でしょ」と発言し、福島県や野党からの批判に対して発言を撤回したが辞任は否定した。野党は問責決議案を提出したが、与党が多数を占める衆参両議院では否決された。衆参両議院の閉会後福島県を訪れ、双葉、大熊両町長と県知事に謝罪をしたが、被災地の苦しみを理解せず形だけの謝罪に、私たち福島県民は非常に怒っている。
私たちが真に望んでいるのは、金ではない。原発事故で放射能汚染される前の暮らしを返してほしいということだ。この思いは福島県民ばかりではなく、放射能汚染された地域に住む人々共通のものだ。その思いを石原大臣はどれだけ共有しているというのか。
環境省の最優先の役割は、地球環境保全、公害の防止、自然環境の保護及び整備その他の環境の保全である。先月、福井地裁で大飯原発再開否認判決があり、裁判長は判決理由として、「生存を基盤とする人格権と環境権が最高の価値を持ち、原子力発電の再稼働は電気を生み出す一手段たる経済活動であり、憲法上は人格権よりも劣位にある」と述べている。石原大臣の今回の発言はこの判決理由で述べているような、倫理観や哲学が全く感じられず、被害にあって苦しむ人々を嘲笑い、愚弄するものである。国民の健康と環境を守る立場の環境大臣が企業の代弁者になっているとしか思えず、環境大臣としては不適格で信頼することができない。よって、即刻の辞任を要求するものである。
< 要 請 内 容 >
1.被害者の除染に偏らない被曝低減措置を早急に策定すること。
1.原発事故子ども被災者支援法の理念に則り、基本方針を見直すこと。
1.今後の政策、立案には被災者の声を反映させること。
1.石原伸晃環境大臣は辞任すること。 以上
「原発いらない福島の女たち」白い防護服も着て要請に 青山晴江(たんぽぽ舎ボランティア)
○7月3日昼過ぎ、福島からの大型バスが環境省前に着いた。「金目でしょ」石原大臣へ放射能汚染土を入れた小さなビニール袋のお土産を持って。主催は「原発いらない福島の女たち」。
白い防護服を着たりして20人が省内に要請に入った。要請内容は4点。「*除染に偏らない被曝低減措置を早急に策定・実施すること。*原発事故子ども被災者支援法の理念に則り、環境省の被災地/者支援政策、放射性物質対策を抜本的に見直すこと。*今後の政策立案には被災者の声を反映させること。*石原伸晃環境大臣は辞任すること。」
途中2時46分(地震発生の時刻)に路上ダイ・インを行った。狭い道なので寝ころぶスペースがない人は座り込んだ。その間、落合恵子さんが寄せてくださった「市民的不服従を誇りをもって貫く」というメッセージ文が読み上げられた。途中、大阪から駆けつけてくれたサックス奏者のMASAさんの生演奏に元気をもらった。朝鮮太鼓の女楽隊も登場。門前集会は3時間近く続いた。
要請から出てきた人たちのお話は、どれも胸を打つものだった。3年以上たって、いまだ棄て置かれ、希望の見えない日々。沿道で聞いている人たちの目にも涙が…。
福島からのバス行動の最後は官邸前抗議。集団的自衛権抗議のアピール、シュプレヒコールが夕暮れの永田町に響き渡っていた。

牛舎で倒れている 牛たち
倒れている 牛たち
道ばたで ハタリ 倒れる牛たち
放射能汚染区域となり
突如避難させられた 飼い主たち
ホウシャノウという言葉も
牛舎も 自分の乳も すでに汚染されていることを
原発推進をなお主張 津波被害を天罰と言った
男が トップ当選していたー
その息子の大臣は 被災者に「最後は金目でしょ」と言った
そんなことは知らない
無人の家近くをさまよう 犬は 猫な
そんなことは知らない
(日本の原発は安全)神話の
生贄になった 動物たち・人間たち
いつまで
付いていこうとするのだろうね)
ものいわぬ牛の遺体が
ひそと ささやき交わすのを聴いた
『怒りの黒いビニ―ル袋』
かたときも あなたが放さない
黒いビニ―ル袋一つ
(そのなかで泣いている 故郷
怒っている 故郷)
夢中で高台へ さらに高台へ
ツナミが引けば帰るつもりだったのに
フクシマ原発メルトダウン
着の身着のまま 避難所を転々
(そのまま帰れなくなった 故郷)
流されず壊れもしないまま 荒れ果て
庭の山桜 栗の木 茄子 葱 茗荷
なつかしい里山 小川の岸辺も
見えない放射能に汚され
(茫然と立ち尽くした 故郷)
ものものしい姿で
わずかな時間 黒いビニ―ル袋一つに
あせりながら詰めこんだ あれこれ
アルバム 針箱は断念 位牌は入れて
(無念のうちに離れるしかなかった 故郷)
七十八年間 あなたの 笑いと涙を
(常に 見守り 励ましてくれた 故郷)
かたときも放さない 怒りの 黒いビニ―ル袋
離れ離れとなった なつかしい友に呼びかけ
(原子力ムラ)めがけ 高く掲げる 黒いビニ―ル袋





