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2015年03月13日

第4回「311原発いらない! 地球のつどい」ご来場ありがとうございました。



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第4回「311原発いらない! 地球のつどい」が、福島市音楽堂で何とか無事に開催されました。「無事に」と申しますのは、当日、郡山方面は大荒れの天候で、地吹雪で10メートル先が見えないようなホワイトアウト状態。信号機にも着雪して信号の色も見えないような有様で、午前中に発表予定の発言者が開場時間に到着せず、急きょ県庁への要請文を読み上げるなど、プログラムもすっかり前後してしまいました。

中でも大変だったのは、東京からのバス組のみなさまです。マイクロバスがノーマルタイヤだったそうで、新白河駅でストップ。そこから新幹線に乗り換えて、ようやく会場に到着いただきました。本当に本当にありがとうございました。4年前の311は、都内は帰宅難民であふれたと聞いておりますが、その時のことも頭をよぎったかもしれませんね…本当にご苦労をおかけしました。

海外からのお客様も閉会20分前にようやく会場に到着。トルコ、インドネシア、ロシア、メキシコ、ブラジル、インド、韓国、スイス、台湾、ヨルダン、バングラデシュ、バングラデシュ、タイ、フランスからの参加者も一緒にデモに加わって、インターナショナルなデモになりました。

イ・ヂョンミさんの圧巻のコンサートも、ご覧になれなかった方も多く…「次回は、集会の中のプログラムではなく、ヂョンミさんコンサートを主催して、スタッフも客席でしっかり聴きたいね」という声も聞かれました。

雪でタイムテーブルがくるいまくり、てんやわんやの楽屋裏でしたが、たくさんのみなさまにご来場いただき、感謝いたします。福島を風化させることのないよう、心と声と力と、合わせることができればと思います。
すべての原発を廃炉にする日まで、がんばりましょう。
ありがとうございました。


posted by おんな100 at 15:08| 福島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月30日

「障害のある人とともに考える防災ワークショップ」in鳥取、島根

今回の投稿は、原発いらない福島の女たちのメンバー・大河原さきさんが、タケダ・いのちとくらし再生プログラムの「障害を持つ人の防災ワークショップ」に報告した原稿の転載です。

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「原発いらない福島の女たち」のメンバーでもあり、障がい者の自立生活支援をしている障がい当事者の鈴木絹江さんの発案で始まった、防災企画会議による「障害のある人と共に考える防災ワークショップ」のファシリテーターの一人として参加しました。今年度中に全国5か所の原発立地県で開催予定で、その1,2回が鳥取県米子市、島根県松江市でした。今後は鹿児島市、青森市、福井県で開催予定です。

この出前ワークショップの主旨は「災害時に最も弱い立場に置かれる障がいを持つ人たちの、災害リスクの削減の目標は差別、格差、排除をなくすことであり、そのことを、一人ひとりが自分のこととして考える。障がいを持つ人の立場から地域に潜む災害リスクを検証し、災害に強いまちづくりを市民や行政(福祉・防災・都市計画・交通・原子力規制委員)に訴えていく場を作る」というものです。

ワークショップは二部構成となっており、第一部は南相馬市で障がい者の地域生活支援をしている青田由幸さんより、原発震災当時の要援護者の緊急避難やその支援の実態と、その後の福島の状況についての講演がありました。障がい者や高齢者が逃げ遅れ、避難してもしなくてもどちらも過酷な現実が待っていたこと、また、福島県は原発事故があったために直接死よりも災害関連死のほうが多くなっていることや、地域や家庭が分断されている実態の報告に参加者からため息が漏れていました。

第二部は原発震災が起きた時に、当事者としてどう判断すればよいのかクロスロード(分かれ道)ゲームという方法でワークショップを行いました。6〜8名ぐらいのグループに分かれ、島根原発が巨大地震により事故を起こしたという具体的な設定で、避難に関する設問に対し自分はどうするか、それぞれの判断理由を披歴して話し合いました。立場や状況の違いから答えはひとつではなく、それぞれが話す中での気づきもありましたが、時間的な制約もあり、詰めて話し合うまでには至りませんでした。クロスロードゲームは具体的な設定と、個人に判断がゆだねられる点で臨場感と緊迫感があり、自分の問題として捉えやすいことから、この方法を使って、地域で災害弱者を含めた原発震災の防災について話し合いを持ちたいという意見も出ていました。

今回のワークショップは、鳥取、島根の障がい当事者団体と脱原発のグループ(えねみら・とっとり、さよなら島根原発ネットワーク)が協力して開催し、行政の関係者や市議会議員も参加していました。(島根では衆院選と重なってしまい行政関係者は参加できませんでしたが)講演会には、両会場とも60数名、ワークショップには40名ほどの参加がありました。

島根県の県庁所在地である松江市は、島根原発から20キロ圏にすっぽりと入ってしまい、事故が起きて30キロ圏の人たちも避難することになると、46万人が岡山や広島に通ずる道路に殺到することになるとのことで、想像しただけでも身震いがします。

ワークショップに参加した障がい当事者でNPO法人の理事長をしている方が「大変な現実を知ってしまった」と何度もつぶやくのを聞き、原発震災の避難計画を自治体や福祉事業所、病院に丸投げして、避難計画ができているかのように装い、住民の強い反対があっても、原発再稼働を進めようとしている自民党政府に対してあらためて怒りがわきました。

地震や津波のような自然災害に対しての備えはしていかなければなりませんが、原発は人間が動かしているものですから、災害のリスクを減らすうえで一番にしなくてはならないのは、再稼働をしないということのはずです。アメリカのショーラム原発が、地域防災計計画が問題だらけだということで、住民運動により廃炉に追い込まれたように、このまま原発を廃炉にする方が、回避できない放射能被害からの避難計画を苦心して立てるよりは、よほど安全で経済的であると、国や自治体に訴えていくこともしていかなくてはならないと思いました。

■写真の解説
  1. ワークショップの様子
  2. 米子鬼太郎空港から乗ったのは、鬼太郎電車!
  3. 米子実行委員会の「えねみら・とっとり」の中山さんと、障害者生活支援センターすてっぷの光岡さん。中山さんは今回の開催に尽力してくださり、2日間とも泊りがけて準備してくださいました。
  4. 視覚障害の方も盲導犬とともに参加。
  5. 松江会場の実行委員長は、障がい当事者で、双葉町から避難された桑原さんでした。
  6. 南相馬の青田さんの講演。
posted by おんな100 at 20:27| 福島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月01日

福島⇒台湾訪問記(黒田節子)

9/25〜10/1にかけてNNAF(ノーニュークスアジアフォーラム)のツアーに参加し、台湾を訪問して来ました。


9/25(木)各国の参加者、台北に到着

26日(金)NNAF国際会議(国立台湾師範大学国際会議ホール)。歩道をプラカード広げながら会場移動。「蒋介石記念堂」自由広場で地べたに座って夜の歓迎会。心地よい風とライヴ。日本の官邸前金曜行動にヒントを得て、原発反対の集会が毎週ここでもたれている。

27日(土)午前、共同声明。午後、断食宣言の英雄・林義雄さんを訪問し「台湾社会運動歴史記録センター」「台湾民主化運動館」を見学。ここまで台北泊

28日(日)第二・第四原発見学&住民との座談会。台東市泊

29日(月)〜30日(火)LanYu(蘭嶼)島の核廃棄物貯蔵所見学、島内一周、交流会など。夕方出港

10/1(水)早朝、成田着。(往復:バニラ・エアライン)


■国際会議

香港、モンゴル、インド、韓国、インドネシア、フィリピン、トルコ、日本からの参加者がそれぞれに自国の状況を報告。ここではアジアの核問題についての深刻さが浮き彫りになった。核「先進国」が後発国をだまくらかしてその国土を汚染しているし、国内で作りにくくなった原発を輸出しようとする日本はとりわけ恥知らずな国である。その日本からの「フクシマ報告」は、アジアの参加者にいったいどのように聞こえたのだろうか。


■第4原発が凍結

台湾といえばこの4月、5万人の民衆が台北市のメインストリートに座り込んで第4原発がついに凍結されたこともあり、なぜそのような大規模な行動が可能だったか、大変興味を持っていたところだった。バスの中から見た駅前道路はとっくに平常に戻っていたが、あの広い交差点が原発反対の人々の群れであふれ、座り込み、ついに政権が凍結を宣言したかと想像するだけで感動。それは完全に‘非暴力直接行動’で、若い人たちが結構‘楽しげ’にぞくぞく集まってきたと。なるほどね。それにしても台湾の若者がなぜに元気なのか、それは以前からの疑問だった。

私なりに聞きかじった答の一つは、もともと脱原発派が多数なところに、大物芸能人や文化人がネットを意識した新しい感覚での行動をたくさん作っていったことなども効果的だったと。視覚に訴える総統府前での人文字ダイ・インなどはまるでスタントマンを大勢使った映画でも見ているようで、新鮮なインパクトのあるアクションだ。加えて、311フクシマ+ もともとの社会不満があったこと、これは言い換えれば代理制民主主義に対する不満でもあり、先人の歴史を少し振り返り学んでみる必要があるようだ。


■民主化闘争

 台湾の歴史はほとんど知らなかった。ん〜、かいつまんでいうと、日本の敗戦後、蒋介石が1947年から1987年までなんと40年間も戒厳令をひいていた国だということ。その間、民主化を求めて人々の苦闘の歴史があったのだ。この抑圧からの解放として昨今の運動が花開いた_と、すばらしい日本語の一人の長老が、素朴な私の質問に対して明瞭に答えてくれた。さにあらん。この春に断食宣言をし、人々を結集して第4原発を凍結に導いた林義雄さんは、若い頃、戒厳令下で獄中にいるときに母親と幼い娘さん二人を白色テロで虐殺されている方だった。直に本人とお会いし挨拶することができたが、まだまだ現役で頑張っておられる様子。彼やその友人たちは台湾民主化のリーダーであり、今の若い人にも大変尊敬されていて、日本でいうような世代間の分断はほとんど感じられなかった。先輩の話を良く聞く習慣や文化があるのかもしれないが、次世代へしっかりと受け継がれたものがあるのは間違いないようだった。


 旅の最中、香港で学生たちを中心とした大きな動きがあった。皆で宿のTVにかじりついて見ていた。その2日前にチョロッとフクシマ報告した台北の「自由広場」でも、香港に連帯する人々の群れにあふれていると興奮気味のアナウンサーは報じている。すごい。日本でも過去いろいろな闘いがあったハズだが、なぜ?どこが違うの?と疑問はさらに続く。

■霧社事件

また、台湾は、明治生まれの私の父親が若い頃暮らしていたことがあり、現地招集で「霧社事件」の加害者側の一兵卒として関わっていたこともあるところなのだ。「砲兵隊として高砂族を山の上から大砲を撃った。双眼鏡で見れば、クモの巣をつついたように逃げるのがよく分かった」というような話を私は生前に聞いていた。父はさすがに「酷いことをしたもんだ」と振りかえり、人々を悼む心情も確かにあったようだったが、その父の子として特別な気持ちを抱いたままの台湾訪問でもあったことを、やはりここに書かなくてはいけないだろう。


■LanYu(蘭嶼)島で

 台湾南端のずっと右側(東)にある島にオプショナルツアーで行った、その話。それはきれいな島だった。30年以上も前のこと、住民には「缶詰工場」といわれてできたものは、しかし、放射能廃棄物の黄色のドラム缶の貯蔵所だったのだ。「缶詰」違いダロッ!広大な貯蔵所、しかも海辺に。ドラム缶はメチャクチャな保管状況で人々がガンで亡くなったり、健康被害が出ている。海の汚染と津波も心配。住民が自ら測れる放射線検知器が必要だ。しかし、物をただ贈るだけではない支援(測り方、数字の持つ意味等々)が大切なこともこれまでの交流と経験から分かっている。


村の公民館のようなところでミーティングが持たれた。元村長さんが丁寧な品格ある挨拶の中にも 「昔、日本人学者・鳥居龍蔵が島の大切な物品を持って行ってしまった。返して欲しい」と発言。あの場でこれは余程のことである。今も昔も、日本人がアジアに対してやっていることは同じではないか。私たちはどう応えたらいいか、ハタと大きな宿題を与えられて来てしまった…。

LanYuで見た息を飲むように美しい海の迫力が忘れられない。童話に出てくるようなおもしろい形をしたたくさんの巨岩たち。ここが核で汚染されるなんて、、これは全ての命に対する、宇宙に対する人間の冒涜そのもの以外にない。

LanYuで誕生日を迎えたが、ずっとツアーに同行していたもう一人の節子さんも同じ月日に生まれたと。すごい偶然。島の小さな食堂で一行の皆さんに祝っていただいた。国内外のいろんな人と出会った旅でもあった。お世話になりました。漢字での筆談がかなり通じるので、往復の長い船中でもせっせと国際交流。フクシマに敏感に反応する台湾の若者たちでした。


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2014.10.10

黒田節子/「不要核電的福島女人們」

 (原発いらない福島の女たち)

posted by おんな100 at 20:14| 福島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする